2018年2月3日土曜日

友達についての思索・3

 2次元ドリーム文庫や美少女文庫といった、あの類いの小説のことを、僕は官能小説ならぬ願望小説と呼んでいるのだけど、その願望というのは言うまでもなく性欲のことなのである。そこでは性欲方面の願望を、倫理とか体面とか気にせず、いくらでも充足させていい。そのため主人公は往々にして優柔不断な性格となり、「ひとりなんて選べないよ!」となる。だって幼なじみはもちろん好きだし、クラス委員のお嬢様も魅力的だし、水泳部員の健康的な肢体にも目を奪われるし、後輩のドジっ子もかわいがりたい。その結果、女の子たちは紆余曲折があったりなかったりして、「ほんとにしょうがないなあ、でもそういう優しいところがよくって、私たちみんな好きになっちゃったんだもんね」などと言って、全員で相手をしてくれることになる。ハーレムという願望が叶う。いいな、と思った女の子が、みんな俺にぞっこんで、ぞっこんらが存分にぞっこんぞっこんしてくれる。とても平和な世界である。嫌な人なんてひとりも出てこない。
 そんな願望小説の方法論は、性欲以外にも応用できるのではないか。たとえば僕は常々言っているように、友達が欲しいのである。それはもう、中学生の男子が、「家に帰ったら間違えて未来の配送センターからセクサロイドが配達されてねえかな……」と乞い願うほどに、友達が欲しいのだ。職場であれから5人以上の人に「ROUND1に行ったことはあるか」「バブルサッカーしたくないか」という話を振ったが、ひとりの口からも「それじゃあパピロウさん一緒に行きましょうよ」という応答はなかった。現実はかくもつらい。中高の6年間で、結局いちども僕の部屋にセクサロイドは誤配送されなかったように、友達はいつまでもできない。
 それならもう、そんなに熱情があって、そんなに実現しないんなら、もうそれは願望小説の題材だよ、という話だ。いろいろな女の子と、めくるめくおセッセをするエロ願望小説に対して、こちらはいろいろな種類の友達と、めくるめく交遊をする友達願望小説である。
 まず、やっぱり幼なじみがいるだろう。そいつとまず遊ぶ。そこへ、クラス一の人気者が、急に僕と仲良くなりたがる。そいつとも一緒に遊ぶ。続けて、部活でライバル関係にあった奴とも、なんだかんだで打ち解け、一緒に遊ぶ。さらに、委員会に入ってきた後輩もやけに僕のことを慕い、そいつとも一緒に遊ぶ。そうして暮す中、それぞれの予定がかち合ってしまい、「ひとりなんて選べないよ!」ということで、じゃあグループが違うけどみんなで一緒に遊べばいいじゃん、となって、全員でROUND1に行って、ものすごく愉しく遊ぶ。そういう小説。
 勘違いしそうになるが、あくまでBLじゃない。あえて言うならFRIENDS LOVE。FL。友達と遊ぶことなんてカタルシスにならないから物語として成立しない、と思う人は、現実に友達がいる人だろう。いない人なら解るはずだ。みんなで5Pするのと、5人でROUND1に行くのは、まったく同じだと思う。話の最後、大抵ROUND1にみんなで行って遊ぶエンドのレーベル。友達文庫。